切ないクリスマスケーキ
2012/12/01 Sat 00:16
僕がまだ二十代の頃のクリスマス。
拭けば飛ぶようなチンピラだった僕は、ある夜、歌舞伎町のランパブでTバックのお姉ちゃんたちをはべらせながら豪遊していた。
時はバブル。
財布には、ざまぁみろってくらいに銭が唸っていた。
お姉ちゃんたちのTバックに惜し気も無く万札を入れては豪遊していると、ふいにバーテンがお城のような形をした巨大なケーキを僕のテーブルに持って来た。
「なんだいこりゃ?」
僕はその二段になったケーキを見ながら聞いた。
「今日はクリスマスイブじゃない」
ランジェリーのお姉ちゃんたちが呆れた顔してウフフっと笑った。
「あ、そっか」とそこで初めてクリスマスだと気付いた僕だったが、しかし元々クリスマスなんてものは僕には関係なかった。
貧しい家庭に育った僕にはクリスマスなんて嫌な思い出しかなかった。
中学を卒業してすぐに少年院に入れられた僕には、クリスマスなんてものはこっ恥ずかしいだけのイベントでしか無く、冗談じゃねぇよってな程度のダセぇ行事だった。
そんな二段の巨大ケーキは3万円もボッタくられたが、結局、誰も一口も手を付けなかった。
放置されていたケーキは、そのうち生クリームがダラダラと溶け始め、その白い生クリームに煙草の灰が舞い、そして誰かがグラスを倒して酒でベタベタにした。
「汚ねぇなぁ、もういいからあっち持ってけよ」
僕がそう言うと、バーテンはそそくさとケーキをカウンターの奥へと持っていき、そのままポリバケツの中へボテッと捨てたのだった。
そんなランパブでしっかり銭を搾り取られた僕は、大あくびを連発しながらマンションへと向かった。
さすがクリスマスだけあり深夜の歌舞伎町は元気だった。
そこらじゅうにサンタの格好をしたポン引きがウロつき、泥酔した奴らが道端に転がっていた。
マンションへ帰る途中、コンビニに立ち寄った。
何気に週刊誌をパラパラと捲っていると、不意に携帯電話が鳴り出した。
当時の携帯電話はティッシュの箱くらいに大きかった。
保証金を30万円も取られ、毎月のレンタル料も2万円掛かる。おまけにその通話料ときたらダイヤルQ2のように高かった。
しかし、それでも僕達のようなチンピラには携帯電話が必要だった。
それを持っている事が、当時のヤクザのステイタスだったのだ。
当時、珍しかった携帯がプルルルルルルっと鳴り出すと、コンビニにいた客達は一斉に僕を見た。
僕は最高の優越感を味わいながら「おうっ、俺だ」と電話に出る。
客達は僕がそっちの筋だと気付くと慌てて目を反らし、耳だけをソッと僕に傾けていた。
するとそこに五才くらいの少女がトコトコとやって来た。
少女は僕の前で足を止めると、僕を見上げながら「それなぁに?」と携帯を指差し言った。
時刻は既に深夜三時を回っていた。
眠らない街歌舞伎町といえど、この時間に五才のガキというのはさすがに不釣合いだった。
僕は携帯をピッと切ると、少女に向かって「何やってんだおめぇ」と聞いた。
少女は僕の顔を見上げながら満面の笑みで微笑んだ。
ガラの悪い僕に、こんな爽やかな笑顔を向ける奴は久しぶりだった。
「あのね、クリスマスのケーキ」
少女は小さなエクボを浮かばせながら嬉しそうに微笑むと、「ね、父ちゃん!」と、小さな足音をパタパタ鳴らしながらコンビニの奥へと消えて行った。
そんな少女は、この寒空だというのに靴下を履いていなかった。
走り去って行く少女の小さな後ろ姿を僕は「ふん」と笑いながら、別にたいして読みたくもない雑誌を3冊手にすると、レジに向かって歩き始めた。
レジには水商売の女達が競うようにおでんを買い漁っていた。
そんなおでんのダシがムンムンと漂うカウンターの横にさっきの少女がいた。
少女はホカホカと湯気を上げながら取り出されるおでんを見つめては「わあっ」と目を大きくしていた。
そんな少女の後にひとりのおっさんがニコニコ微笑みながら立っていた。
きっと少女の父ちゃんなのだろう、男は、ホカホカのおでんが取り出される度に「おいしそうだね」と少女の顔を覗き込んでいた。
すると少女が「まだ?」と父ちゃんに首を傾げた。
父ちゃんは時計をチラリと見ると「もう少しだよ」と優しい笑顔で微笑んだ。
水商売のババア達がレジを終えると、次は僕の番だった。
僕はおっさんに向かって「先に行けよ」と言ってやった。
するとおっさんは「いえ、お先にどうぞ」と深々と頭を下げるだけで動こうとしない。
よく見ると、おっさんとガキは何も商品を持っていなかった。
なんだこいつら・・・と、不審に思いながら、僕はレジ台の上に読みたくもない週刊誌をバサッと置いた。
ピッ・・・ピッ・・・
レジから電子音が響いた。
そんな電子音と共に、背後から少女の声が聞こえて来た。
「父ちゃんまだぁ・・・」
「あと五分待ちなさい」
僕はソッとレジの奥の時計を見た。
時刻は3時25分だった。
5分後の3時30分にいったい何があるのか、僕は気になって仕方がなかった。
レジを終えた僕は、雑誌の入った袋を手に提げながら、入口でぼんやりとガキとおっさんを見ていた。
ただジッと見ているのも変に思われると思い、わざと携帯を耳にあてて電話するふりをしながら2人を見ていた。
新たな水商売のババア達がやって来た。
キツい香水の香りとおでんの匂いが混ざり、店内は独特な匂いに包まれていた。
時計の針はいよいよ3時半になった。
父ちゃんが少女の耳元に「行こうか」と囁くと、少女は目を輝かせながら「うん」と大きく頷いた。
「すみません・・・お願いします・・・」
父ちゃんは弱々しい笑顔を作りながら、レジの店員に深々と頭を下げた。
レジ台に溢れたおでんの汁をせっせと拭いていた店員が背後の時計に振り向き、「ああ・・・」と気の無い返事をした。
父ちゃんは娘に振り返りながら「待ってろよ」と笑った。
店員はおでんの汁を拭き終わると、大きなプラスチックの箱を抱えレジから出て来た。
そのまま冷蔵コーナーへと行くと、そこに並んでいたケーキを鷲掴みにしてはプラスチックの箱に次々に入れ、そして面倒臭そうに「はいよ」っと父ちゃんと娘の足下にそのプラスチックの箱をドンっと置いた。
「うわぁ・・・」
瞳をキラキラと輝かせながら少女が笑った。
「ひとつだけだよ」
父ちゃんは少女の頭を撫でながら嬉しそうに少女を見つめる。
「父ちゃんのは?」
少女は父ちゃんに首を傾げた。
「父ちゃんは大人だからいらないよ。他の人達にも残しておいておかなくちゃね」
父ちゃんはそう言いながら再び少女に向かって微笑んだ。
その大きなプラスチックの箱に入ったケーキは、紛れもなく賞味期限を過ぎたケーキだった。
僕の胸がギュッと縮んだ。
さっきランパブでポリバケツに捨てた大きなケーキを思い出し、胸を掻きむしられる思いがした。
プラスチックの箱を覗き込んでいた少女がイチゴの乗ったショートケーキを指差し「これ!」と叫んだ。
父ちゃんは背後の店員に「すみません・・・」と呟きながら、そのショートケーキをソッと手に取った。
店員は知らん顔していた。
賞味期限切れの商品を持っていくのを、店員はあくまでも知らなかったという事にしなければならないらしく、だから店員は知らん顔しているのだ。
ひとつのショートケーキを、まるで宝物のように大切に運ぶ父ちゃんと娘は、2人してレジに向かって一礼するとそのまま僕のいるドアに向かって歩いて来た。
僕は慌てて二人から目を反らした。そしてブツブツと携帯に話し掛けながら、ソッと通路を開けた。
すると突然、店員が2人に声を掛けた。
「これ・・・」
そう呟く店員の手には、サンタクロースの絵がプリントされた小さな箱がぶら下がっていた。
少女は「サンタさんだ」と小さく飛び跳ねた。
父ちゃんは、今にも泣き出さんばかりに「すみません」と深く頭を下げながらそれを受け取った。
僕はそんな店員のイキな計らいに、素直に胸を打たれた。
2人が店の外に出ると、僕も携帯を耳にあてながら外に出た。
眠らない街のネオンが輝く夜空に、タンポポのような雪がチラチラと舞っていた。
僕はこの2人に何かしてやりたいと焦った。
確か、財布の中にはまだ4、5万は残っているはずだった。
どうせ明日になれば、この財布の中にはまたあぶく銭がぎっしりと詰まるはずだ、今、この見知らぬ親子にはした金をくれてやったところで全然惜しくはない。
僕は尻の財布に手をやりながら2人にソッと近付いた。
何も言わずに父ちゃんのジャンパーのポケットに銭を押し込んで逃げよう、とそう思ったのだ。
すると、いきなり父ちゃんがコンビニの横の路地からズルズルと自転車を引きずり出した。
僕は慌てて足を止めた。
ビニールシートが被せられたその自転車のカゴには、大量の新聞がドサッと積まれていた。
サンタクロースの絵の付いたケーキの箱をまるで宝物のように抱きしめている娘を、父ちゃんはそのまま自転車の荷台に乗せた。
父ちゃんは新聞配達員らしかった。
今から娘と2人して新聞を配るのだろうか。
そう思っていると、自転車は走り出した。
結局、僕は父ちゃんに銭を渡せなかった。
しかし、ネオンがキラめく街を嬉しそうに走り去って行く自転車を見ていると、あの父と娘は僕なんかよりもずっと幸せなんだろうなと思った。
そして、こんなうす汚ねぇ銭で、あの父と娘の幸せなクリスマスを汚さなくて良かったと心底そう思った。
パラパラと舞い落ちる粉雪が巨大看板のネオンに照らされ赤く染まっていた。
荷台に跨がる少女は靴下を履いてなかった。
今でもあの時の少女の真っ赤なくるぶしが頭から離れない。
実に臭い話しなんですが、これは実話なんです。
いえいえ、決して『一杯のかけそば』をパクったわけではありません、本当の話です。
僕はこの事があってから、クリスマスにケーキを見ると無性に切なくなるんです。
そしてこの時期にクリスマスソングを耳にする度に、あの時の少女が腹一杯ケーキが食べれてますようにって、いつもそう願っています。
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