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一円五十銭

2011/09/17 Sat 10:12

一円
中卒の僕は、商業高校が商業を勉強する高校で、農業高校が農業を学ぶ学校、そして工業高校で建築とかを勉強するのだという事を、今、あらためて、風呂で頭を洗いながらふと気付き、顔面を泡だらけにさせながら「ならば女子校は何を学ぶのだ・・・」と思い、ふいに40を過ぎた腐ったナスビのような性器を起立させそうになりました。

今更ながら、僕はどうしてこんな事に気付くのでしょう。
商業高校が商業を勉強し、農業高校が農業を学ぶのは当然です。
しかし僕は、その本質を全く知らないまま、今まで普通に「へぇ~上原君は商業高校行ってたんだぁ」などと、阿呆のようなツラして話していたのです。
商業高校がいったいなんなのかも知らず、農業高校というのが元々そーいう名前の高校だと思っていたにもかかわらず、なのに、あたかも知ったかぶった面で恥ずかしげもなくそうほざいていたのです。

なんという愚か者!

学歴なんてのは、僕の愚かな人生においては何の役にも立たない実につまんない肩書きなのですが、しかし学問は大切だったと、風呂に入る度につくづくそう思います(いつも考えさせられる場所はなぜか風呂なのです)。

そんな学問はとっても大切なんだと、僕がまだ小学生の頃、僕に必死にそう言っていた人がいます。
その人は、学校の先生とかではなく、近所に住む婆さんでした。
その婆さんは、近所のちびっ子達から「チョーセンババア」と呼ばれていました。
チョーセンババアは、その名の通り在日朝鮮人のお婆さんです。
チョーセンババアと言うと、何か酷い差別用語のように聞こえますが、しかしドイツのお爺さんはやはりドイツじじいで、オランダのお婆さんならオランダばばあと呼ばれているわけでして、それを差別用語だと受け取る事自体が既に差別なのです。
しかし僕達のクラスのニッキョウソな先生は、僕達が「チョーセンババア」と言うと、決まって「人種差別をしてはいけません」と、まるで何かに酔いしれるかのように自分を美化しながらほざいておりました(その癖、学校の裏のアパートに住むフィリピンホステス達を異常に毛嫌いしてました)。

そんなチョーセンババア。
子供が好きなのか、僕達を見つけるといつもスイカだとか饅頭だとかをやるから来い、と僕達をオンボロ長屋に誘い込みます。
そしてチョーセンババアの家で、食いたくもない饅頭なんかを齧っていると、決まってババアは「ににんがし、にさんがろく、にしがはち、にごじゅう」と掛け算を始めます。
そうです、掛け算ができる事を僕達に威張っているのです。
しかし、チョーセンババアの言う「じゅう」は「ちゅう」であり、「にごじゅう」は「にこちゅう」となってしまいます。
それが可笑しくて、僕達はいつもケラケラと笑いながらチョーセンババアの掛け算を聞いていたのでした。

そんなチョーセンババアがある時、いつものようにミカンがあるから食いに来いと僕達を長屋に連れ込みました。
チョーセンババアは僕達にミカンをゴロゴロと転がすなり、チャブ台の上に置いてある紙を見つめながら「いち、ちゅう、ひゃく、せん、まん」と言いました。
そしてまた息を深く吸い込み、「いち、ちゅう、ひゃく、せん、まん」と繰り返すのです。
僕達はチャブ台の上の紙を覗き込みました。
その、スーパーの広告の裏には、ド下手糞な漢数字で「一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億、一兆、十兆、百兆、 千兆」と書いてありました。
「なんだこれ?」と、聞くと、チョーセンババアはまた「いち、ちゅう、ひゃく、せん、まん」と繰り返してはニヤリと笑い、「おまえらちゃんとペンキョウして立派な人になっていっぱいいっぱいお金儲けしてアボジとオモニを幸せにしろ」とニンニク臭い息でしみじみとそう言ったのでした。

そんなチョーセンババアが、ある時、突然何かを思い出したかのように僕達にこう話してくれた事があります。
チョーセンババアがまだ小学生の頃、学校で勉強をしている最中にいきなり日本の兵隊さんがやってきて、そのままみんな船に乗せられたと。
そして、その船の中でみんなで「さくら、さくら」と日本語の勉強をし、気がつくといつの間にかそこは日本だったと。
小学生のチョーセンババアは、アボジにもオモニにも別れを告げる事無く、そのまま日本に連れて来られたのです。
チョーセンババアは、アボジの顔もオモニの顔も覚えてないらしいです。
自分の本名すら知りません。
でも、最後に食べたオモニの朝ご飯はよく覚えてるらしく、その最後の朝ご飯の絵を、スーパーの広告の裏に書いては「おいしかたよ」と嬉しそうに笑っていました。

当然、その時の僕達は、どうして小学生のチョーセンババアが日本の船に乗せられ、それから2度と家族と会えなくなったのか全く理解不明でした。
それを「どうして?」と僕達が聞くと、チョーセンババアは淋しそうに「わからん」と首を横に振るだけでした。

そんなチョーセンババアは、僕達が中学生になる頃、町の大きな病院で1人淋しく死にました。
町内の人達が集まり、腐ったオンボロ長屋でひっそりと葬式をやりました。
チョーセンババアの身内は誰もいませんでした。
あの人の身内は全員朝鮮だ、と、近所のおっさんが言ってました。
でも、一応戸籍謄本を調べてみようと町内会長さんが動いたらしいですが、しかし、やはりチョーセンババアは天涯孤独だったらしいです。
しかも、その謄本に記されているチョーセンババアの生年月日は「昭和五十一年」だったらしく、近所のおっさん達はやりきれない思いで「可哀想に……戸籍も滅茶苦茶だよ……」っと呟いておりました。

僕は今でも時々チョーセンババアの、あの不気味な笑顔をふと思い出す事があります。
あの婆さんは、いったいどんな気持ちでこの異国で暮らして来たんだろうかと、思ったりして悲しくなる事があります。

ある本にこう書いてありました。
昔、日本の兵隊さんが、その人を日本人か朝鮮人かを調べるのには、「一円五十銭」と言わせていたと。
その記事を読んでふと思いました。
きっとチョーセンババアは、あの時、僕達に掛け算を誇らしげに唱えていた時のように、必死になって「一円五十銭」が言えるように練習してたんじゃないだろうかと。

チョーセンババアは僕達に言いました。
「おまえらちゃんとペンキョウして立派な人になっていっぱいいっぱいお金儲けしてアボジとオモニを幸せにしろ」と。
しかし、どれだけ勉強した所で立派な人なんかにはなれません。
それに勉強をいっぱいしても金なんて儲かりません。
でも、あの時のチョーセンババアの言いたい事は、今になって良くわかります。
きっとチョーセンババアは悔しかったんです。
自分は勉強していないから、だからこんなミジメな暮らしをしなければならないんだと、本気で悔しかったんです。
勉強さえしてれば、今頃、アボジやオモニと一緒に祖国で幸せに暮らせたと、チョーセンババアは本気でそう思い込んでいたに違いありません・・・。


そんなチョーセンババアの薄汚い部屋の天井に、昭和天皇の写真が大切に大切に飾ってあったのを今でもよく覚えてます。

「いちえんこちゅっちぇん!いちえんこちゅっちぇん!」
きっとそう必死で練習していたチョーセンババアの顔をふと想像すると、今でも不意に笑えて来ます。



(※この曲は、「朝鮮人慰安婦の歌」です。
メロディーは明るいですが、歌詞はとっても悲しいです。
歌詞の最後にある、「ビール瓶の栓かよ騙された」という所で、僕はいつもあのチョーセンババアあの憎たらしい顔を思い出し、不意に目頭が熱くなります。
この曲は僕にとって「トイレの神様」なのかも知れません)



(満鉄小唄)(放送禁止曲)
 
雨のしょぼしょぼ 降る晩に ガラスの窓から のぞいてる
満鉄の金ポタンの ぱかやろう 

触るは五十銭 見るはただ
三円五十銭 くれたなら かしわの鳴くまで ぼぼしゅるわ
  
上るの帰るの どうしゅるの はやく精神 ちめなさい
ちめたらゲタ持って 上がんなさい

お客さんこの頃 紙高い  帳場の手前も あるでしょう
五十銭祝儀を はずみなさい 

そしたら私も 精だして
二つも三つも おまけして かしわの鳴くまで ぼぼするわ

ああ騙された 騙された 五十銭金貨と 思うたに
ビール瓶の栓かよ 騙された

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