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良い子は千回擦りましょう

2011/04/09 Sat 11:05

    良い子は
オナニー。
自慰。
マスターベーション。
そして、センズリ。
色々な呼び名はありますが、しかし、女の場合は別として、男ならばやはりセンズリでしょう。

センズリは千擦りと書きます。
その名の通り、千回擦るからです。
千回擦ってのセンズリですから、数回擦ってピュッの場合はなんというのでしょう。
ま、そんな事はどうでもいいです。

さて、センズリと言えば、一番に思い浮かぶのが少年です。

少年にとってセンズリとは、親父達が一日の疲れを癒すが如く飲む酒と同じで、一日のムラムラを癒してくれるひとときです。
だから大人達は少年のセンズリにはとっても寛大です。
すね毛剛毛なお父さんなんて、息子のセンズリを発見したものなら、「おまえも大人になったなぁ」などと、嬉しそうに息子のイガグリ頭をガシガシと撫でて笑います。
又、学校の体育の先生(ワキガ)なんかも、少年のセンズリにはなかなか寛大でして、時には使い古しのエロ本なんかも与えたりしては「俺にもそんな時期があった」などと昔を懐かしみます。

このように、大人達は少年のセンズリを、「思春期」などと呼び、女子の初潮の如く温かく迎え入れてくれるのです。

しかし・・・・

これが大人の場合では大きく異なります。
そう、世間というのは、少年のセンズリは許せても、

大人のセンズリは許しません。

例えば、大きな川原の土手で誰かがセンズリをしていたとしましょう。
そう、とっても大きな土手です。
まるで金八先生に出て来るような土手を想像して下さい。

そんな広大な土手で、1人シコシコとセンズリをこいてヤツがいます。
それが学生服を着たニキビ面の少年だったとしましょう。
恐らく80%はセーフです。
しかしこれがオッサンだったとしましょう。
作業服を着たオッサンが、荒川の土手でハァハァと呻きながらセンズリをこいていやがったら100%アウトです!

いや、逮捕です!

そうです。
少年のセンズリは思春期で、大人のセンズリは変態なのです。
いい歳こいたオッサンが、ハァハァとマヌケ面してチンポコしごいていたらダメなんです。
社会的に許されないのです。
独身だとか、彼女いない歴四十年とか、セックスレスだからとか、そんなものは通用しません。

大人はセンズリしてはいけないのです!

大人のセンズリというのはイメージが悪すぎます。
大人にとってのセンズリとは、例えば
今のこの時期に、↓こんなCMや、




はたまた↓こーんなCMを放映するくらいイメージが悪すぎるのです。




さて、カメカメはどうでもいいのですが、センズリといえばネタです。
たかがズリネタ、されどズリネタ。
このネタの良し悪しによってセンズリの快楽度は大きく変わって来ると言っても過言ではございません。

世の中には数多くのズリネタがございますが、そんなズリネタは時代と共に大きく変化しております。

ネタと言っても数多くございます。
スタンダードなところでは「妄想」

この妄想なんかも、昭和と平成では大きく変わって来ております。
我々のような昭和センズリ小僧の時代ですと、保健室の先生のチノパンの尻にパンツのゴムが透けていただけで突然ムラッ!と来たものです。
たったそれだけでもう大変な御馳走となり、その晩は保健室の先生の大きな尻を思い浮かべながら、1人ムンムンと布団の中で馬鹿騒ぎなのです。
もちろん保健室の先生は薄汚い熟女です(やたら化粧が濃く乳がでかい)。
しかし、それでも立派なズリネタにしてしまうというパワーと想像力を、昭和のセンズリ小僧たちは持っていたのです。
あと、友達のお姉ちゃん(ヤンキー)や文房具店のおばちゃん(ロマンポルノ系)、2組の吉岡さんのブルマ姿(臭そう)に美術の女教師のチノパン食い込み(昭和の先生はなぜかチノパンが多い)、挙げ句の果てには、校庭の銀杏の木のワレメや美術室にあるヴィーナスの石膏にまでムラムラと欲情してしまい、もう片っ端から夜の布団の中でやっつけてしまうのです。

まぁ、こんな物まで妄想してしまうのは僕だけなのかも知れませんが(いや、同級生の小森君は給食センターのおばさんにレイプされるネタを妄想してました)、しかし、それほど昭和のセンズリ小僧たちというのは、想像力というかバカというかヒマというか、そんな妄想パワーを持っておりました。

しかし、平成になりますと、平成のセンズリ小僧たちは妄想などという面倒臭いものには手を出しません。
そうです。平成のセンズリ小僧たちにはAVがあったからです。

AV。
あれはいけません。
あれは知性の欠片も文学の香りもない、まさに汚れた青春の1ページです。
あれほどまでに露骨なセックスシーンをガキの頃から見ておりますと、中学を卒業する頃にはもう身も心もズルムケになってしまっており、余程の事が無い限り、胸をズキン!とトキメかすことなんかなくなってしまいます。
もうガキの頃からAVで、女の喘ぎ声やら、マンコの毛やら、尻のシワやら、真っ赤なワレメやら、シックスナインやら、騎乗位やら、浣腸やら、指マンやら、顔面シャワーなどを徹底して見て来ておりますから、昭和のセンズリ小僧達のように、保健室のババアのパンツのゴムなんかではムラッ!とは来ないのです。

それを実証するのが、「オールスター紅白水泳大会」です。

あの番組は、明星や平凡なんかでも平気でヌイちゃう昭和のセンズリ小僧達にとっては、夏のボーナスの如く嬉しいもので、河合奈保子の巨乳と松田聖子の小さな尻とキョンキョンの食い込みをしっかりと目に焼き付け(ビデオがありませんから脳に録画するしか無いのです)、その晩、各家庭の子供部屋は震度2の揺れが起こるのです。

しかしこの番組、平成になりますと、とっとと打ち切られました。
打ち切りの理由は、水着になるアイドルが少なくなったのが原因だとフジテレビは言っておりましたが、それは嘘です。
本当の理由は、平成のガキ共はあんなものでセンズリをこかなくなったからです。
それが原因で視聴率が下がったのです。
そうです、平成のぽんぽこりんなガキ共は、いきなりAVというステージから性春を歩んでおりますから、そんな小便臭いアイドルの水着ごときではチンポの筋すら立てないのであります。

この糞生意気な平成のガキ共め!なにがAVだ!なにがアダルト動画だ!このセンズリ猿め!贅沢だ!貴様ら贅沢だ!贅沢は敵だ!あの夏の暑い夜、蚊取り線香臭い部屋の片隅で、煎餅布団に包まりながら柏原芳恵がプールの滑り台を滑るシーンを思い出して2回も抜いた僕の立場はどうなる!バカ!

・・・まぁ、今更、この21世紀に柏原芳恵の件を持ち出すというのも、いささか大人気ないと反省しておりますが、しかし、あのシーンは今でも僕の脳裏に焼き付き、あの柏原芳恵の白痴的な笑顔とあのスイカのようなオッパイが時々フラッシュバックされては妙にムラムラと興奮する事がございます(トラウマ?)。
しかし、平成のセンズリ小僧達には、そんな夏の夜の蚊取り線香の思い出はないのです。
あるのは、電マでヴィィィィィィと股間を刺激されては、「イッちゃう!イッちゃう!」と嘘臭くも小便を垂らす整形だらけの糞娘のシーンだけなのです。

全てバブルが悪いんだ!

そう言ってしまっては身も蓋もありません。
ですからもう柏原芳恵の話しはよしましょう・・・お互いに淋しくなるだけです。


さて、そんなズリネタ。
やはりなんといってもズリネタと言えばエロ本です。
僕のセンズリ全盛期(1970年代後半)には、ビニール本という強烈な馬鹿野郎もございましたが、しかしアレはガキの僕達にはなかなか入手しづらく、僕達のようなガキに回って来る頃には、もうそこらじゅうに落書きされたり破られたり、挙げ句の果てには不愉快な人口糊でページがビッシリとくっ付いてたりなんかして、とってもイカ臭くて不衛生でした。

ですから、ガキの僕達には手っ取り早く手に入るエロ本。
例えば、
175_convert_20110402000454.jpg 61xTlkBHLdL_convert_20110402000438.jpg bq2113_convert_20110402000510.jpg

と、いった、安くて早くて安心なクラシアンのようなエロ本に僕達は走ったものです。

どうです。
表紙を見ただけでもゾクゾクして来るでしょお父さん。

薄暗い雑木林で、雨に濡れてビショビショになっていたエロトピア・・・・
本屋のオヤジにビビりながら買ったオレンジ通信・・・
誰もが持ってたアクションカメラ術・・・

昭和です。
まさに昭和の貧乏臭いズリネタです。
昭和のガキのベッドの下を覗けば、必ずこれらの不正な品々が100%隠されていました。
同じ本で何発も抜きます。
ガキは経済的に豊かではございませんから、同じ本で最低3発は抜きます。
イクページに指を挟みながら、栃木の小作人の如く、しこしこしこしことサイドページで励みます。
そして、「あっ!」という瞬間に、イクページをバッ!と開いては夢の中へと落ちてイクのです。
しかし、時々失敗します。
「あっ!」という瞬間、指を挟んでいたページがバサッと崩れ、「あわわわわっ」と慌てて元に戻しますが、しかし焦っている為イクページを見つけ出せず、悲しくもブルーワーカーの広告でイッてしまうのです。

bullworker_convert_20110403235332.jpg

これが、平成になりますと、エロ本からエロサイトへと移り変わりました。
平成のセンズリ小僧達は、本屋のオヤジにビビる事も無く、万引きする事も無く、又、親に見つからないように隠す事も無く、ワンタッチで夢の世界へイク事ができるようになりました。
しかも、「あわわわわ」っと失敗する事もございませんので、ブルーワーカーの広告でイッてしまうなどという悲しい事故も起きません。
ネットの普及により、とっても安全でとっても平和なセンズリライフを送る事ができるようになったのです。

しかし・・・
これ、いかがなものでしょうかお父さん?
そもそもセンズリというのは、ハイリスクハイリターンの世界なのです。
それをいとも簡単にマウスひとつでシコシコピュッピュッというのは、あまりにも味気ないではありませんか、えっお父さん!

・・・まぁ、そーいう僕もエロサイトなんかを運営しているわけですから、エロサイトについてあーだこーだは言える立場ではございませんがね、しかし、あれですよ、本当、今のガキっつーのはね、てめぇーで汗を掻きませんからね・・・どいつもこいつもきゅうりみてぇな顔しやがって。

平成のきゅうり野郎共はですね、昭和のクソガキ共のように、本屋のレジで必死になって背伸びしては成人のフリしてエロ本買うっつー努力を知らないんですよ。
エロ本を売ってくれねぇケチな本屋からは強奪してやろうっつー度胸もなければ、部屋のどこにどー隠せばお袋に見つからねぇか考える知恵ってのもないんです。
でもって、買ったばかりのエロ本を先輩に上納する律儀さもなければ、お気に入りのエロ本を友達と交換する社交性もないんです。
そうです、平成ちんぽこりんなガキ共は、マウスをカチッとやればすぐに膨大なズリネタが手に入りますから、そんなリスクを背負わなくてもいいんです。

そんなセンズリ全然気持ち良くないだろ!

・・・・・・・・・・・・

さて、テレビの中にも昭和のガキを興奮させてくれるズリネタは多々ございました。
そんな中でも、僕の思い出に残るズリネタは、「ウィークエンダー」です。
とってもイカ臭いサタデーナイトな1ページです。


(1:04からの曲が切ないです)

子供の頃はいつもポコチンにティッシュを被せてこの番組を見てましたので、この曲を聴くと今でもコタツの中で汗ビッショリになっている生尻の不快感をリアルに思い出します。

しかし、今になってよくよく考えれば、よくこんな番組でセンズリしていたと、あの頃のアグレッシブな自分に感心します。
この番組の「再現フィルム」が抜きどころなわけですが、しかしその「再現フィルム」の濡れ場で抜き損じると、もう後がありません。
あとは、リポーターのすどうかずみか高見恭子が画面に映るチャンスを狙って、その隙に「ピュッ!」と早撃ちするしか方法はございません。
しかし、これにも失敗は付きものでして、「よし!高見恭子が画面に映ったぞ!」と慌ててシコシコ!ピュッ!とイったとしても、瞬間に「パッ」と画面が切り替わり、運悪くも、桂朝丸(現2代目桂ざこば)や司会の加藤芳郎といった面々でフィニッシュを飾らなければならない、誠に無念な結果となる事が多々あったのです。

P1m.jpg

そんな無念な結果にならないようにと、昭和のガキ共は時計とにらめっこしながら「再現フィルム」を見てシゴくわけですが(再現フィルムは約15分だった為、時間を見計らってヌクのです)、しかし、この再現フィルムにも当たり外れがございまして、痴漢事件や売春事件といった性犯罪の再現フィルムならいいのですが、時には普通の泥棒事件の再現フィルムなんかもございまして、そんな時は日本中のセンズリ小僧達は酷く落胆させられたものでした。

しかし、そんな時でも昭和のガキ共は焦りませんでした。
無駄な精液を流すこと程、愚かな事はないというのを、昭和のガキ共は桂朝丸によって散々思い知らされているからです。

ですから昭和のガキ共は、再現フィルムがハズレの時は、その後の深夜にラジオで放送される、

「鶴光のオールナイトニッポン」

まで、ジッと我慢したものでした。

薄暗い部屋の中、ラジカセの再生ランプ(緑色)だけがボンヤリと浮かんでいました。
真夜中、ヘッドホンを耳にあてた少年は、鶴光と女性ゲストが繰り広げる

「エコーのかかった奇妙なアエギ声」

が聞こえだすと、ここぞとばかりに布団の中でカサカサカサとティッシュが擦れる音を響かせるのです。

しかし、これにも「抜きタイミング」というものがございました。
手慣れたプロならば、鶴光の声のトーンにより「今だ!」というタイミングを見計らう事ができるのですが、しかし、まだセンズリ素人のガキですと、不覚にも抜き損じてしまい、待ちに待った絶頂は東ハトのキャラメルコーンのCMソングという、悲しい結末を迎える結果となってしまうのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

このように、昭和のガキというのは、たかがセンズリにおいても、人知れぬ苦労と努力をしてきているのです。
その為、彼らは大人になっても「女をいかに落とすか」という事を人生の最重要課題に置きました。
いつでも腹を空かせたケモノの如く、ギラギラとした目で女を物色し、その、若い頃からセンズリで鍛え上げられた勘とタイミングで、女にジリジリと近付き、そしてガブッ!と子孫繁栄に繋げたのです。

出会い系サイト?

そんな物、彼らには必要ありません。
昭和のハングリーなセンズリ時代を過ごして来たヤツラには、そんな物は二光通信販売の金魚運動器くらい必要ありません。
町に出れば女がいます。
その女を手当り次第にナンパすればいいのです。
女をナンパして、いかにラブホに連れ込み喰っちゃうか。
その繊細な能力と獰猛な精神が、昭和の真夜中にシコシコと千回擦って鍛えて来た男達にはしっかりと根付いているのです。
だから出会い系サイトなどというこっぱすかしい物は必要ないのです。

そう考えると、昭和の男って強いですね。
そして又、昭和の女も粋です。

センズリ。
たまにはあのハングリーだったガキの頃を思い出してシコシコするのもいいかもしれません。
きっと、生きるのが楽しくなって来ると思いますよ。



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