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ロマンティックあげるよ

2012/02/25 Sat 16:00

ロマンティック



世界的に有名なアニメ「DRAGON BALL」。

僕が若い頃、凄く流行っていたアニメなのに、僕はあの番組を一度もまともに見たことがありません。
所々見たとか、チラッと見たとか、たまたま見たとか、ぼんやり見てたという程度なら何度も目にした事ありますが、しかし、卓袱台に煎餅と番茶を用意し、日本通販で買った楽々リクライニングの座椅子に腰掛けながら、
「さてさてDRAGON BALLでも見ますか」
とアレを三十分最後まで見たという記憶は一度もございません。

しかし、DRAGON BALLのエンディング曲である「ロマンティックあげるよ」。
この曲をYouTubeで聞く度に、僕の頭の中は凄い事になります。
DRAGON BALLのストーリーも知らないくせに、その玉を七つ集めるとどうなるのかも全く知らないくせに、なのにこの「ロマンティックあげるよ」を聞くと、僕の頭の中は凄い事になるのです。

(精神科医)「先程からキミが言う、その『凄い事になる』とはいったいどーいう状態なんだね?」

はい。
まぁ、つまり、簡単に説明しますと、古い記憶が鮮明になって甦るのです。
しかもそれは、大きな出来事だったり、強烈なエピソードだったりといった「重大な記憶」ではなく、何の変哲もない、そこらに転がっているような「どーでもいい記憶」なのでございます。

先日も、やはりYouTubeでたまたま「ロマンティックあげるよ」を聞いておりますと、突然、フラッシュバックのように

「四谷のマンションのトイレの芳香剤の匂い」

が甦りました。

それは、今から二十数年も前に付き合っていた女のマンションのトイレの香りです。
今までそんな女の事すら思い出した事も無いのに(顔も名前も忘れました)、なのに、「ロマンティックあげるよ」を聞いたとたん、あの四谷のマンションの何とも甘ったるいトイレの芳香剤の香りが猛然と甦り、卑猥でハングリーなあの頃の出来事が鮮明に甦って来たのです……

……あれは、僕がまだ新宿の反社会的組織の事務所で毎日毎日電話番をしていたチンピラ時代の頃です。
兄貴達の目を盗み、「買い出しに行って来ます」と嘘を付いては事務所を抜け出した僕は、うだるように暑い新宿通りを、新宿御苑から聞こえてくる狂った蝉の声をBGMにひたすら走り抜けておりました。
ジャージ姿に健康サンダル。坊主頭に灼熱の太陽がジリジリと照りつけ、そこから流れ出した玉のような汗がサングラスの中をツツツっと通過しておりました。

大きなビルの角を曲がり、岡田由希子の死体が転がっていた場所をヒョイと飛び越え、横断歩道を渡って細い路地に入ると、安っぽいマンションがズラリと並ぶ通りに出ます。
ムンムンと熱された道路にセッセと水を撒いてるおっさんに「おっす!」と手を振り、そのまま女のマンションの入口に飛び込みますと、おっさんが水打ちしてくれたおかげでマンションのエントラスには日陰のヒンヤリ感が漂っていました。

今でもはっきり覚えております、3階の角部屋302号室です。
チャイムをピンポンピンポンピンポンっと3連打し、ドアノブを乱暴にガチャガチャガチャっと3回捻ります。
早く開けろ!という、せっかちな僕のいつもの合図です。

ガチャっとドアが開くと、女が「どーしたの?」と慌てて顔を出しました。
ボサボサの茶髪に眉の消えたすっぴん顔。乳首が薄らと透けるTシャツに、毛玉だらけのディズニーのパジャマのズボンが妙に所帯じみております。
これが、この女のいつもの就寝スタイルです。
この女は歌舞伎町のランジェリーパブで働いていた女(当時十九才)で、確か茨城の出身だったと思います。
高校卒業後、田舎から上京し美容師の専門学校に入学したものの半年でケツを割り、歌舞伎町のスナックやキャバクラのバイトを点々としておりましたが、そんな流転の果てに、とうとうランジェリーパブに堕ちたという、どこにでもいるバカな女でした。

僕はドカドカと部屋に上がり込み、布団がくしゃくしゃになっているベッドに腰を下ろします。
女はきっと、寝起きのままベッドの中でぼんやりとテレビを見ながら微睡んでいたのでしょう、布団の中には温もりが感じられ、テレビでは再放送の「DRAGON BALL」が垂れ流されていました。

「麦茶くれ!」

僕はそう言いながら煙草に火を付けると慌ててジャージを脱ぎます。
全裸になった僕が煙草を銜えたままベッドの中に潜り込むと、麦茶を手にした女がベッドの脇に立っておりました。

「今何時だ?」と聞きながら、女の手から麦茶を奪い取ります。
女は壁の時計に振り向き、寝起きの擦れた声で「もうすぐ4時半になるよ」と答えました。
それはもちろん夕方の4時半ですが、しかし完全夜型人間のこの女にすれば朝の4時半です。

僕は灰皿に煙草を押し付けながら麦茶を一気に飲み干します。
因みにそれはハト麦茶。
パックを水に浸しておくだけのハト麦茶、嗚呼、ハト麦茶。
……あの懐かしくも貧乏臭い香ばしさが、今、これを書いている僕の口内にジンワリと甦ります……

「時間がねぇ、早く脱げ」と、女を急かすと、女は慌ててTシャツを脱ぎながらも「シャワー浴びて来ちゃダメ?」と鼻にかかった甘ったるい声を出します。
「うるせえ、そんな時間はねぇんだ、もうすぐおやっさんが事務所に来んだよバカ」と女をベッドに引きずり込み、バックからコキコキと手際良く快楽を得ます(なぜバックなのかと申しますと、寝起きの女の息を嗅ぐと死にたくなるからです)。

あっという間に果てた僕が、全裸のまま2杯目のハト麦茶を飲んでおりますと、脱ぎ捨てたジャージのポケットの中からピーピーピーっという忌まわしい音が聞こえて来ました。
まだ携帯電話のない古き良き時代です。
それは事務所から呼出しのポケットベルの音でした。

そのピーピーとうるさい音に、早く戻らなければと焦れば焦る程、ウンコがしたくて堪りません。

阿呆のように激しく腰を振るせいで腸の活発を良くするからでしょうか、僕は昔からセックスの後には必ずウンコがしたくなるのです(今でもそうです)。

僕は全裸のままトイレに走りました。
そしてトイレのドアを閉める瞬間、ベッドの女に向かって、

「テレビのボリュームを上げろ!」

と怒鳴ります。
そう、僕は昔から女の部屋でウンコをする時は、必ずテレビか若しくはステレオのボリュームをうるさいくらいに上げさせます。
それはウンコをしているピチピチピチというミジメな音を聞かれたくないからです。
こう見えても、僕は結構デリケートなのです。

そして、ドアを閉め、急いで便器に座ると、外から聞こえて来るテレビの音を確認した後、そこでやっとブリブリブリっとやらかすのです。

その時の、あの四谷のマンションの便所の芳香剤の香り。
忘れもしませんジャスミンです。
芳香剤の中で、最も安っぽい香りを放つジャスミンです。
そんな安っぽい香りに包まれながらウンコをしておりますと、いつもドアの向こうから「DRAGON BALL」のエンディングテーマ「ロマンティックあげるよ」が聞こえて来るのです……



このような経験から、僕は今でも「ロマンティックあげるよ」を聞きますと、焦ってウンコして安っぽいジャスミンの香りに包まれていた、全然ロマンティックじゃないあの頃を思い出します。

この他にも、「ロマンティックあげるよ」を聞きますと、眠っていた記憶が呼び起こされる事が多々ございます。

★反社会的組織の事務所の片隅で永谷園のお茶漬けをふりかけた冷や飯に水道水をぶっかけただけの夏の夕飯をかっ込んでいた時の事

★クーラーが壊れた女の部屋で、夜空に打ち上げられる隅田川の花火を夏の熱風とヘドロの香りに包まれながら見ていた時の事

★百人町の大衆食堂で、出勤前のトルコ嬢と扇風機に吹かれながらかき氷を食べていた時の事

など、そんなどーでもいい記憶が脳からムンムンと溢れ出し、その度に僕の頭の中は、その懐かしき音と香りと味覚と快楽で凄い事になってしまうのです。

(精神科医)「どうしてその曲で甦るキミの記憶はいつも『夏』ばかりなんだね?」

はい。
恐らく、夏休みだったからだと思います。
夏休みになると、テレビではアレ系の再放送が延々と垂れ流されていますから、それがいつしか僕の脳にインプットされていたのだと思います。

その証拠に、『ロマンティックあげるよ』だと二十代の頃の記憶が呼び起こされますが、しかし、これが『ふしぎなメルモ』になりますと、呼び起こされる記憶はかなりの年月を遡り、僕がまだ下町の薄汚い路地裏で暮らしていたガキの頃の記憶が甦って来ます。



このイントロ。
このイントロを聴くだけで、夏休みの朝の日差しが僕の脳を眩しく照らします。
鉄工所から聞こえて来るカンカンカンっという甲高い音と風鈴の音。
朝メシの目玉焼きの焦げた油の匂いが、緑色のビニールむしろ(海の家みたいなやつ)が敷かれた居間にムンムンと溢れ、その居間からは長屋の路地でアサガオに水をやってる浴衣姿のボケ老人の姿が見えます。

『夏休み子供劇場』を見ながら急いで朝メシをかっ込んでおりますと、長屋の路地から「また誰かがこんな所でゲロ吐きやがった!」という隣りのおばさんの金切り声と共に、数台の自転車がけたたましく走って来る音が聞こえて来ます。
僕は楽しみにしておいた黄身を慌ててチュッと吸うと、唇を黄色くさせたまま「海パンどこだよ!」と台所のお袋に叫びます。
「まだ乾いてないよ!」
お袋の声と共に居間から路地に飛び出すと、黄色い帽子をかぶった友達がキキキキッと僕の家の前でブレーキを鳴らしました。
僕は急いで物干しから湿った海パンを引ったくっていると、隣のおばちゃんが「プールの後はちゃんと目薬するんだよ!」とブルドッグのような顔をして怒鳴りました。
「わかってるよ!」とおばちゃんに怒鳴り返すと、居間のテレビから垂れ流されていた『夏休み子供劇場』は、『メルモちゃん』から『黄金バット』に変わり、あの気味の悪い黄金バットの笑い声が下町の長屋の路地にけたたましく響いたのでした。



このように、『ふしぎなメルモ』も『黄金バット』も、すっかり忘れていた懐かしい記憶を甦らせてくれますが、しかし、『ロマンティックあげるよ』には敵いません。

二十代。
僕の人生においてその時代というのは、最も卑猥でパワフルでハングリーな時代だったからでしょう、だから『ふしぎなメルモ』よりも、より内容の濃い記憶が甦るようです。

それにしても、あの四谷のマンションに住んでいた女はいったい誰だったんでしょう。
顔も名前もすっかり忘れてしまいましたが、でも、店から帰って来る度に、いつも「茨城に帰りたい」と泣いていたあの泣き声だけは今でも鮮明に覚えてます。

あの女も、もしかしたら『ロマンティックあげるよ』を聞く度に僕の事を思い出してくれてるかもしれません。
が、しかし、この曲を聴いた彼女に甦る記憶は、きっと、けたたましく鳴り続けるポケットベルの音や、ハト麦茶を何度も何度もベッドに運ばされた事や、そしてトイレにムンムンと漂うウンコの香りなのです。

それを考えると、今更ながら名も知らぬ彼女に、

「ロマンティックをあげられなくてごめんね」

と、詫びたい心境です……




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